雑にできない人が、なぜ疲れてしまうのか

過緊張の構造

朝のラウンドで病室を回ると、
夜勤で使ったタオルがベッドサイドにそのまま置かれていることがあります。

口を拭いたタオル。
口腔ケアのあと・・・

忙しかったのだろう、と頭ではわかる。

でも私は、思ってしまうのです。

「家族が見たら、どう思うだろう」

この小さな違和感が、
一日のはじまりに、静かに積み重なっていきます。

私が疲れるのは、
タオルそのものではありません。

その先にある、

「この状態を誰も気にしないこと」

に反応しているのだと思います。

同じ看護師でも、
気にならない人もいる。

忙しいから。
人が足りないから。

理由はわかる。

でも私は、
気づいてしまう。

そして、想像してしまうのです。

このままでは患者さんはどう感じるだろう。
家族が見たらどう思うだろう。
この小さな積み重ねが、
病棟の“質”をつくっているのではないか、と。

雑にできない人は、
想像力が止まりません。

目の前の行為だけで終わらない。

その先の影響まで、考えてしまう。

だから疲れるのです。

気にならない人が悪い、
と言いたいわけではありません。

人が足りない現実もあります。
忙しさが優先される場面もあります。

ただ、

気づいてしまう人は、
自分の中の基準を下げられない。

「まあいいか」で流せない。

それが、静かな緊張を生みます。


そして一番つらいのは、

自分の基準を守ろうとするほど、
自分の負担が増えていくこと。

でも、すべてを背負うことが
責任ではありません。

質を守ることと、
全部を引き受けることは、
同じではないのです。


雑にできない人は、
弱いのではなく、
感度が高いのだと思います。

だからこそ、

疲れすぎないように。

気づいてしまう自分を責めるのではなく、
「ここまでは私の役割」と
そっと線を引く。

それもまた、
質を守ることのひとつです。


静かに整えて、少し前へ。

今日も、背負いすぎないで・・・・・   

いきましょう^^

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